中央線ガードへ続く道 1967(昭和42)年頃
この道の変貌ぶりにも目を見張りますが、右手の郵便局の建物を懐かしむ方も多いのではないでしょうか。
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この道の変貌ぶりにも目を見張りますが、右手の郵便局の建物を懐かしむ方も多いのではないでしょうか。
富士見台団地造成に伴う区画整理で、富士見台地区には七つの公園(谷保第一から谷保第六と矢川上)ができました。そのうち最大規模が谷保第三公園。
国立市議会は1971(昭和46)年、南武線谷保駅や矢川駅の北口開設促進の特別委員会を設置し、写真のような看板で国鉄に訴えました。
紅屋百貨店前(現家具の紅屋)の櫓は、ネオン灯を設置しているところ。
わが国に、ものを測る単位や基準を定めた度量衡法が公布されたのは1891(明治24)年。それが計量法に変わるのは戦後の1951(昭和26)年のこと。
大学通りが都道に指定され、中央部のみの舗装が完成したのが1961(昭和36)年。翌年に歩道部分が整備されています。
国立市古民家の裏には小さな竹薮があります。 七夕が近づいた6月末、ここから竹を切
この踏切の風景は、線路の向こう側に目をやらなければ、今もそれほど変わっていません。
蒼穹を大海に見立て、鯉のぼりが泳ぐ様は、粋な江戸っ子が考えついたそうです。しかしこれは思い付きではなく、中国の故事に倣っています。
近い昔のくにたち散歩、今回は北地区へ。
手前の柵に沿って、鉄道技術研究所への引き込み線がありました。
東京女子体育大学の歴史は、わが国の女子体育の苦闘と発展を象徴しています。
伝承庭園の小さな梅の木に近寄れば、梅花の馥郁とした香りがありました。
梅見月がきたのですね。