アコースティックと電子音響のコンサート。次世代を担う若手作曲家8名が様々な楽器や編成を用いて、新しい音楽表現の可能性を追求。コンピュータテクノロジーや視覚表現を駆使した演出に乞うご期待!
日 程 | 2月17日(日) |
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時 間 | 14:00(開場 13:30) |
会 場 | ホール |
料 金 | 1,000円(くにたちポイント対象) ※未就学児の入場はご遠慮ください。 |
出 演 者 | 【作品発表】 白岩優拓 伊藤彰 金田望 金ヨハン 根岸藍 上野壽久 関直人 丸橋絢乃 【監 修】 国立音楽大学 今村央子教授 今井慎太郎准教授 |
主催・共催 | 公益財団法人 くにたち文化・スポーツ振興財団 協力:国立音楽大学 後援:国立市教育委員会 助成:平成30 年度文化庁「文化芸術創造拠点形成事業」 |
チケット発売 | 発売中 |
チケット取扱 | 芸術小ホール 白十字国立南口店 ㈱しまだ文具店 ※ peatix 取扱いあります。 |
042-574-1515
Artist Interview
新進作曲家の伊藤彰さんと関直人さんにきく
(?_?)どんな楽器を使うのですか?
普通の楽器ですよ。ピアノやヴァイオリン・チェロ、フルートやチューバ、ヴィヴラフォン、歌もあります。でも、楽器を使わない作品もあります。
楽器は使わず、電子音響に映像やダンサーが加わったり…。生演奏の音をマイクで拾い、ステージ上でリアルタイムに、コンピューターでエフェクトをかけ、生演奏とのアンサンブルを行う作品など、8人それぞれの多様性に富んだ内容です!
(/_;)エフェクトをかけるとは?
例えばチェロの音が鳴っているとします。それをマイクを通してコンピューターに取り込み、少し遅らせてその音を反復させて重ねる…。
それによって、ひとりでチェロを弾いていても、オーケストラの音圧を表現できたり、1秒の素材を10秒くらいに引き延ばしたり、逆に0.1秒に縮めたりして全く違う音にできます。
極端な話、ドラムを叩いているのに、トランペットの音が聴こえてくるなど、コンピューターを介するエフェクトによって、通常では不可能な演奏を可能にします。作曲家のねらいによって、エフェクトは様々に表現されます。
(*_*)どんな音楽ですか?
今ここに生まれる「表現」…という公演タイトルの通り、次世代を担う作曲家8人が生み出した現代音楽作品を公演します。それを、通常楽器のみで表現するもの、また、通常楽器と映像、通常楽器と電子音響、電子音響と視覚表現など、多岐に渡っていますが、こればかりは、会場で聴いてみないと…(笑)ぜひご来場を!(笑)
(T_T)そもそも現代音楽って…?
これは100人に聞いたら100通りの答えがありそうです。(笑)19世紀以前の音楽は人間が共通して持っている、音を美しく感じる普遍的な感覚を追求し、20世紀以降音楽の枠組みを離れて自由になったところで、個人的な聴覚体験のなかでどこを重要視するかといった一点を作曲家が表現し始める…万人に共通の感覚ではない個人的な領域にシフトするから、多様性が生まれ、聴衆もボーダレスな方向に向かい、同時代のアートなどの影響も受けてパフォーマンスや映像、電子音楽などいろいろなものが出てきたと思います。
(-_-)個人的な領域の音楽の聴衆とは?
万人向けではないからこそ、作り手の音楽感、音楽家像が大事で、明確なビジョンを持たないと、まさにそこに共感する聴衆を捉えづらく、なかなか聴いてもらえない時代にはある…。さりとて安易なコラボレーションは失敗を生みます。
今の時代、多くの人は「体験」を求めているのではないでしょうか。作り手がそこへ寄り添っていくことはないですが、SNS時代に携帯で写真や音楽を共有することと、生で体感することの違いを聴衆ははっきりわかっている時代だからこそ、画面の外での「自分の体験」を求めているのでは?空間がひとつの体験となるメディアアートミュージアムが盛況だったり、音源をダウンロードする時代に、ライブにくる人が増えていることは、ひとつの指標として、音楽やアートを取り巻く状況が変化していっているのではないかと思います。
数年以内にAIの飛躍的な転機が訪れるといわれ、コンピューターがコンピューターをつくる時代なので、音楽の体系も今とは違うものができていく可能性もあるでしょう。哲学の体系も変わり始めていますし、それによって新しい考え方を人間が得るような影響もあるかもしれません。
-Extra Editionー
それぞれの作曲はどのように?
伊藤:ピアノや楽器を触ることもちろんありますが基本的には触らないで作曲します。僕は浮かばないタイプの人間なのでひねり出そうと思って一生懸命考えるんです(笑)最初のきっかけとなるひとつの音からいろいろ想像して、考えていく中で拡張されます。考えて思いついて書いて、それの繰り返しで時間がかかります。
関:わたしはたぶんスーパーイレギュラーです(笑)普通大学に行っていて、音大を受験しようと思った時に初めてピアノを触りました。何かのきっかけで、ヤニス・クセナキスという作曲家の曲を聴く機会があり、全く現代音楽なんてものを知らなかったんですけど、こんなものが音楽なんだと衝撃を受けました。彼はもともと建築家で、数学の応用である曲をつくりあげたそうです。現代音楽といったものが、ある音楽のバックグランドを必要としていない、今まで自分が学んだことがむしろプラスになる、というのを感じました。
作曲は音を1個のツールとして考えます。マルチメディアを使って総合的に足りない部分を補い合おうとして作品をつくります。まず完成形のイメージがまずあって、そこに対して何をするのが最短距離かというような考え方をします。
演奏会におけるオーディエンスというのは念頭においていますか?
伊藤:もちろん!自分が会場に行って、客席でその作品をどのように聴くかというのは常に想定して作曲します。自分が聴いてみたときに何を感じるか、何を聴くのかを常に考えてます。そこから何か新しい発見、自分の感覚を刺激してくれるようなもの!と常に考えています。
表現する演奏者が媒介となるわけですが、表現してもらえていないなどの葛藤はありますか?
伊藤:作曲して、演奏してもらって、聴くことまでの3段階、プロセス自体が作曲だと思っています。こうして欲しかったな、というのはないわけではないですが、それ以上にやっぱり演奏家から得るもののほうが大きいです。
僕は作曲を終えてリハーサルがあって本番を迎えてというところがいつも一番楽しくて、演奏までのプロセスでも発見のほうが大きいですね。自分が作曲上では想像しきれなかったこととか、こういうふうに音が鳴るんだとか、こういうふうにしたらこうなるんだとか、こう書いたらこう表現してくれるんだとか、そこでの一つ音楽上でのコミュニケーションがあって、あまり失敗には目を向けません(笑)
やはり色々な人や演奏家と関わって、聴き手に聴いてもらって、色々な人と関われるのが音楽だと思っています。表現しきれないというよりは、色々な可能性、考え、新しい発見、価値観、そういうプロセスを経ることによって生まれるんじゃないかな、と感じています。だから、これが絶対的なもので、こうです!というのは僕はあまりおもしろいとは思いません。色々な感じ方の人がいて、様々な表現の在り方があるからこそ、自分の作品ひとつを取っても色々なものが出てくると思います。そういうものの積み重ねによって現代音楽というものが更新されていったのではないか、と思います。
もっとこういうふうにやってほしかったんだけど…みたいなことはないですか?
関:失敗体験のほうがわたしは多いです。マルチメディアは色々なジャンルをまたいでコンピューターでそれを繋げていくという作品をつくることになります。もちろん全部自分で完結できる映像と音だけの作品ならいいのですが、当然パフォーマーやら演奏者が必要になるときがでてきて、自分のイメージの中で90%まで練り上げた、あとの10%はもう誰かに託すしかない、100%になることをいつも期待して演奏したり、頼んだりするんですが、やはりそれが少し減じられるという体験のほうがわたし個人としては多いです。それでも100%になる希望は捨てられないんです。