昨年11月谷川俊太郎さんが亡くなられ、そのあと賢作さん最初の演奏会が僕とでした。延期にしましょうとご提案したのですが「弾きたい」とおっしゃって。お父様に対して、音楽で向き合っていたかったのだと思います。本番では涙一つ流さず、なんでこんなにきれいな音が出るんだろうという演奏でした。僕はといえば、ぎりぎり泣かずにいられました…。
俊太郎さんの詩は、亡くなられてからますます自由に受けとめてもよくなった、という気がします。いろいろな作曲家が感銘を受けて曲にしていますが、息子の賢作さんならでは通じているところが強い。父のことばだから息子の音が生きる。そしてことばがさらに生きる。都会的でもあり素朴でもある俊太郎さんの詩は、誰に対しても響く1行があるのではないでしょうか。あるいは今30代の自分が感じていることが、50代では変わっているかもしれない。普遍的な詩だからこそ、年齢を問わずどなたでも受け入れてもらえるのだと思います。
くにたちの方たちは、ことばに敏感な印象があります。どうぞ演奏会にいらして、想いを馳せる時間としていただければと思います。