展示作品紹介-3「盛況だった『天下市』」〔昭和41年〕
『11月28、29日の両日、国立駅南口の大学通りで商工会主催の第1回国立町産業展示会と天下市(在庫処分市)が開かれました。
『11月28、29日の両日、国立駅南口の大学通りで商工会主催の第1回国立町産業展示会と天下市(在庫処分市)が開かれました。
「国立富士見台第一団地の辺りから西側に向かって撮影された、1966(昭和41)年頃のさくら通りの様子。
「1970(昭和45)年の市報 (※1)で、第六小学校北側の南武線踏切りの改良工事が報じられ、「この踏切りは、第六小学校の開校と都営住宅、矢川都営北団地の建設(※2)に関連して整備されるもの」としている。
今は昔“水郷くにたち”の面目躍如たる写真。町内循環バスが走る通りは、1982(昭和57)年の公募で、他の5本の道路とともに愛称が与えられました。
…多摩蘭坂を 登り切る手前の/坂の途中の家を借りて住んでる…
ご存知、RCサクセションの名曲『多摩蘭坂』の一節。そのたまらん坂、70年代半ばには、こんな風景でした。
木製の電柱には「東区商工会」の文字。手前半分は旭通りですが、奥へ分岐している道がわかりません。
町役場に隣接する火の見櫓からは、城山の森や、殆ど人工物の見えない多摩丘陵までも望むことができました。
町役場の二階から南を見ています。写真の中央に、バス停のポールが立っているのがお分かりでしょうか。
市制施行50周年を控えて、久しぶりに懐かしい国立風景をご紹介。
富士見台団地造成に併せて開通した道路には、ごらんのように桜の苗木が植えられました。
この道の変貌ぶりにも目を見張りますが、右手の郵便局の建物を懐かしむ方も多いのではないでしょうか。
富士見台団地造成に伴う区画整理で、富士見台地区には七つの公園(谷保第一から谷保第六と矢川上)ができました。そのうち最大規模が谷保第三公園。
国立市議会は1971(昭和46)年、南武線谷保駅や矢川駅の北口開設促進の特別委員会を設置し、写真のような看板で国鉄に訴えました。