雨後の学園通り 1962(昭和37)年頃
今は昔“水郷くにたち”の面目躍如たる写真。町内循環バスが走る通りは、1982(昭和57)年の公募で、他の5本の道路とともに愛称が与えられました。
カテゴリ一 記事一覧
今は昔“水郷くにたち”の面目躍如たる写真。町内循環バスが走る通りは、1982(昭和57)年の公募で、他の5本の道路とともに愛称が与えられました。
…多摩蘭坂を 登り切る手前の/坂の途中の家を借りて住んでる…
ご存知、RCサクセションの名曲『多摩蘭坂』の一節。そのたまらん坂、70年代半ばには、こんな風景でした。
木製の電柱には「東区商工会」の文字。手前半分は旭通りですが、奥へ分岐している道がわかりません。
町役場に隣接する火の見櫓からは、城山の森や、殆ど人工物の見えない多摩丘陵までも望むことができました。
町役場の二階から南を見ています。写真の中央に、バス停のポールが立っているのがお分かりでしょうか。
市制施行50周年を控えて、久しぶりに懐かしい国立風景をご紹介。
富士見台団地造成に併せて開通した道路には、ごらんのように桜の苗木が植えられました。
この道の変貌ぶりにも目を見張りますが、右手の郵便局の建物を懐かしむ方も多いのではないでしょうか。
富士見台団地造成に伴う区画整理で、富士見台地区には七つの公園(谷保第一から谷保第六と矢川上)ができました。そのうち最大規模が谷保第三公園。
国立市議会は1971(昭和46)年、南武線谷保駅や矢川駅の北口開設促進の特別委員会を設置し、写真のような看板で国鉄に訴えました。
紅屋百貨店前(現家具の紅屋)の櫓は、ネオン灯を設置しているところ。
わが国に、ものを測る単位や基準を定めた度量衡法が公布されたのは1891(明治24)年。それが計量法に変わるのは戦後の1951(昭和26)年のこと。
大学通りが都道に指定され、中央部のみの舗装が完成したのが1961(昭和36)年。翌年に歩道部分が整備されています。