団地造成以前の富士見台地区 1960(昭和35)年頃
団地が造成される以前の富士見台地区は、ご覧のように畑地が広がっていました。
団地が造成される以前の富士見台地区は、ご覧のように畑地が広がっていました。
開設されたばかりの国立駅北口。物売りふうのお二方の背後の林は、のちに打ちっぱなしのゴルフ練習場になったことを覚えておいでですか。
突き当りは第三小学校北の交差点。「学園通り」の名前は1982(昭和57)年の道路愛称公募で、北大通り、さくら通り、団地通り、矢川通りと合わせて決められました。
甲州街道谷保天満宮前の交差点に、国立で最初の信号機がついたのが1964(昭和39)年のことです。
南武線の下谷保踏切から北方向を見ています。
今回は第一団地をご覧いただきましょう。日本住宅公団が設立されたのは1955(昭和30)年で、翌年には経済白書が「もはや戦後ではない」と記して、高度経済成長に突き進みました。
キャブオーバーバスが土埃をあげて走るのは、今のさくら通り交差点あたりから見た建設中の第二団地。ところで、このバスの行き先表示は「国立駅」なのですが、どこが起点なのでしょうか。そ
未舗装の三小通りに並ぶ2台のダイハツ・ミゼット。熱烈なモーターファンでなくとも、このオート三輪はあちこちで目にしたのでお馴染みのはず。
夏の水遊びと言えば、清化園プールを思い出します。1960年に25mプールが、1962年には50mプールが完成。
店頭に並ぶコンクリート製のごみ箱。収集車による回収が行われる前は、こんなコンクリート製や木製のごみ箱が家の前にあったのを覚えておいでの方も多いはず。
第六小学校に向かう矢川第二踏切。六小は、都営住宅の完成で児童の増加が見込まれたため1970(昭和45)年に開校しました。
中央線の高架化工事ですっかり様子が変わった国立駅ですが、駅開設当時は北口もありませんでした。