市制施行50周年記念写真集「くにたち あの日、あの頃-写真に見る少し昔のくにたち-」からピックアップした写真のご紹介。今回は第6弾のお届けです。

 写真集刊行記念の春季写真展は、6月4日(日)をもちまして無事終了いたしました。
 たくさんに皆さまにご観覧いただくことができ、担当として大変うれしい限りです。加えて、多くの方々からアンケートにご協力していただくことができました。貴重な情報や参考となるご意見を、たくさん頂戴いたしました。重ねてお礼を申し上げます。お寄せいただいた情報やご意見は、今後の展示や事業の企画、あるいは資料紹介等で活用させていただきます。誠にありがとうございました。
 なお、7月1日(土)からは、夏季企画展として国立市所蔵美術作品展「わたしたちのたからもの展」を開催いたします。国立市が所蔵する美術作品から8名の作家の作品を取り上げて構成する展示内容です。ぜひ、当館でゆったりと美術鑑賞をお楽しみください。皆さまのご来館をお待ちしております。

「立東商店街」(写真集112頁掲載)

撮影年代:1964(昭和39)年頃
ファイル番号 [1]「ファイル番号」とは、営利を目的としない写真の利用に供するため、くにたち郷土文化館に保存されている電子データーのファイル番号を表示したものです(写真集でも当館が電子データーを所蔵しているものは、ファイル番号の表記をしています)。
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 1964(昭和39)年頃の立東商店街を撮影した写真です。現在の北三丁目の一部にあたる立東地区は、都営住宅が建設され、商業活動が盛んなところでした。『立東住宅戦後十年略史』[2]浜野生 立東自治会編『立東住宅戦後十年略史』 1955(昭和30)年6月13日(国立市公民会所蔵) 「四 商店界発展の濫觴時代」でも、多くの商店名を挙げ、「(商店)等が賑やかに開店したので、消費者階級はこれによって多大の便益を蒙り、現在の如き商工界発展の基礎を築いたのである」と記しています。なお、これに続けて「武蔵野湯が浴場としての形態を具備してきたことを忘れてはならない。」との記述があり、この地域において「武蔵野湯」が大切な施設であったことが窺い知れます。1963(昭和38)年の住宅案内図[3]『東京都全住宅案内図帳』 東京住宅協会 1963(昭和38)年 「7 立東.青柳」にある「ムサシの湯」の表記に従えば、今回ご紹介した写真に見えている通りを少々先へと進み、右に曲がって入ったあたりに、この「武蔵野湯」があったようです。
『「立東商店街」の現在』
通学路
紹介した写真を含む一連で撮影された写真を観察すると、直前の撮影分で通学道路標識を写し込んでいるものが見受けられます。この撮影状況からして、前回ご紹介した写真[4]当館HP くにぶんブログ「写真集掲載写真のご紹介-5」(2017年6月2日)と同様、今回の写真も、指定された通学路を撮影していたうちの一枚と考えられます。当時の新聞報道[5]『東京新聞』1964(昭和39)年3月29日 「国立 通学道路12本設ける」(くにたち中央図書館所蔵「国立市関係新聞記事」より)に拠れば、この通学道路標識は、立川市と同様のもので、20箇所への設置が進められたようです。写真の通りも、第四小学校への通学路として指定された道路になっています[6]『広報くにたち』№138 1964(昭和39)年5月1日 P3「通学路が決まりました」

※脚 注

※脚 注
↑本文へ1 「ファイル番号」とは、営利を目的としない写真の利用に供するため、くにたち郷土文化館に保存されている電子データーのファイル番号を表示したものです(写真集でも当館が電子データーを所蔵しているものは、ファイル番号の表記をしています)。
↑本文へ2 浜野生 立東自治会編『立東住宅戦後十年略史』 1955(昭和30)年6月13日(国立市公民会所蔵) 「四 商店界発展の濫觴時代」
↑本文へ3 『東京都全住宅案内図帳』 東京住宅協会 1963(昭和38)年 「7 立東.青柳」
↑本文へ4 当館HP くにぶんブログ「写真集掲載写真のご紹介-5」(2017年6月2日)
↑本文へ5 『東京新聞』1964(昭和39)年3月29日 「国立 通学道路12本設ける」(くにたち中央図書館所蔵「国立市関係新聞記事」より)
↑本文へ6 『広報くにたち』№138 1964(昭和39)年5月1日 P3「通学路が決まりました」