はじめに
国立市広報担当から当館に移管された写真資料からピックアップしてのご紹介。今回は、当財団広報誌『オアシス』4・5 月号に掲載した、明るい色味(オレンジ色)の屋根をした国立駅舎を紹介します。
早いもので「令和」の元号も既に3 年目に入りましたが、上の写真は「昭和」の末期にあたる1988(昭和63)年に撮影された1 枚です。この翌年、1989年1 月7 日に「平成」と改元され、翌8 日から平成がスタートしています。当時の小渕恵三官房長官が、白木の額に入った「平成」の2 文字を掲げているニュース映像は、昭和生まれ世代ならご記憶の方も多いのではないでしょうか。そして既に世は「令和」へと移り、「昭和100 年」まであと数年となっています。「〝昭和″も遠くになかりけり」と詠ぜられてしまうのも、そう遠くないことのようです。歳月の流れは誰にも止められません。
さて、この1988年2月下旬の新聞を探ってみると、1990 年度までの完成を目指して、郷土の文化財を展示・収蔵する文化施設の建設構想が国立市から明らかにされたと報道されています1。そうです、その後1994(平成6)年に完成(11 月17 日開館2)することとなる当館(くにたち郷土文化館)の建設のことです。
そして、この報道がなされた同じ時期に、国立市でもうひとつホットな話題が持ち上がります。それが上の写真にある、国立駅舎の屋根の色に関する話題でした。
国立市が2019(令和元)年11 月に刊行した『三角屋根でまちあわせ』16・17 頁には「旧国立駅舎のトリビア」が掲載されています。
そのひとつ(トリビア5)に「幻のオレンジ屋根」として採り上げられていますので、この話題をご存じの方もいらっしゃることでしょう。当時を知る人にとっては、その事の顛末もまだ記憶に新しいかもしれません。しかし、私を含めて当時の状況を知らない人にとっては、どのように事が推移したのか、その経緯を詳らかに把握できておらず、ただただ「国立駅舎の屋根が明るく塗り替えられて、それがまた元に戻された」という結果論でしか捉えられていないのではないでしょうか。お恥ずかしながら、私もそのような認識しかありませんでした。先日、当館の学芸員と旧国立駅舎オープン1周年に関して話をしていた際、自分の認識があまりにも貧弱なのを痛感し、「それでは、一丁調べてみるか!」と資料を漁り出したのがこの写真紹介の発端です。
1988年に生じたこの〝駅舎トリビア″については、幸いなことに新聞各社から幾つも報道がなされています。それに拠って事の経緯をある程度捕捉することができました。そこからは、国立駅舎をまちのランドマークとして愛しむ多くの人々の存在と、それに応えるべく市民や国立駅利用者の意向を反映せんとした当時のJR側の積極的な対応があったことを知ることができました。この国立駅舎にまつわるひとつのエピソードについて、調査結果を報告することもあながち無駄にはならないのではないかとの思いから、この度の写真紹介と相成りました。