国立市の前身である谷保村は、甲州街道に面して家々が立ち並び、仕事や祝いの場などで、様々な歌が歌い継がれてきました。しかし、昭和20~30年代になると、農業の機械化や式場の普及により、それまでの歌は徐々に歌われなくなりました。
 昭和37(1962)年、国立音楽大学で民俗学を教授していた甲野勇と6人の学生は、暮らしの変化と共に失われつつある歌を記録するため、民謡採集グループを結成し、下谷保や石神に伝わる歌の録音と採譜を開始しました。甲野と学生は、放課後や休日を利用し、テープレコーダーを担いで旧家を訪問しては、収録した歌を楽譜に起こす作業を続け、「棒打ち歌」などの労作歌、「小桜」などの祝い歌、「まりつき歌」などのわらべ歌を、およそ50曲を採譜しました。学生たちが、貴重な文化遺産を残すため、また作曲や楽理の勉強のために努力した活動楽譜「まりつき歌」「小桜」昭和37年頃 の成果が甲野勇氏資料に残されています。

民謡を収録する甲野(左端)と学生
サンケイ新聞多摩版
昭和37年11月28日 16面より

楽譜「まりつき歌」「小桜」昭和37年頃