[著者]堀 峰生
[発行](公財)たましん地域文化財団
[請求番号]02/A5
96頁,A5版
毎号多彩な切り口で特集や連載が組まれている『多摩のあゆみ』。この度は、同書169号の連載「多摩の金融史」に掲載された堀峰生氏の論稿をご紹介します。
本論稿では、堤康次郎が箱根土地株式会社を設立するにあたって、その傘下に置かれた高田農商銀行が取り上げられています。
同行が「純農村地帯の農村金融機関」から、箱根土地株式会社の開発事業において資金調達を担った「『機関銀行』として変容」していく過程とその後の経緯が論じられています。
高田農商銀行にスポットを当てた論説が少ない中、「『国立学園都市』開発等への関わりから」同行の変容を論じている点で、本稿は貴重であり大変参考になります。
箱根土地株式会社は、大正15(1926)年3月に社債が償還不能となるなど、国立大学町開発当時は「深刻な資金難」に陥っていました。時を同じくして、その「資金調達機関」であった高田農商銀行も「重大な経営危機に見舞われる」こととなります。
資金難の箱根土地株式会社が国立大学町建設を進めた時期的背景に触れると共に、同社への貸出が固定化していた高田農商銀行が、そのような状況下で破綻を免れた理由などについても言及されています。
堤康次郎の開発事業を支えた金融機関、この金融史の側面から国立大学町建設を眺める、そのような複眼的視点を得られる一読すべき論稿です。【Ryou】