春の大学通り 1961(昭和36)年頃
大学通りが都道に指定され、中央部のみの舗装が完成したのが1961(昭和36)年。翌年に歩道部分が整備されています。
大学通りが都道に指定され、中央部のみの舗装が完成したのが1961(昭和36)年。翌年に歩道部分が整備されています。
国立市古民家の裏には小さな竹薮があります。 七夕が近づいた6月末、ここから竹を切
この踏切の風景は、線路の向こう側に目をやらなければ、今もそれほど変わっていません。
蒼穹を大海に見立て、鯉のぼりが泳ぐ様は、粋な江戸っ子が考えついたそうです。しかしこれは思い付きではなく、中国の故事に倣っています。
近い昔のくにたち散歩、今回は北地区へ。
手前の柵に沿って、鉄道技術研究所への引き込み線がありました。
東京女子体育大学の歴史は、わが国の女子体育の苦闘と発展を象徴しています。
伝承庭園の小さな梅の木に近寄れば、梅花の馥郁とした香りがありました。
梅見月がきたのですね。
国立が、1958(昭和33)年に立川市から打診された合併案を断り、独自に多摩地区で15番目の市制を施行したのは、1967(昭和42)年1月1日。
郷土文化館の武蔵野庭園の片隅で、幾株かのスイセンの花を見ながら、民俗学者の宮本常一氏の故郷、山口県の周防大島で、毎年1月30日に営まれる「水仙忌」のことが過りました。島のいたるところにみられるスイセンの花に因むこの日は、氏の命日にあたります。
丸山薫に『白い自由画』という詩があります。
1月から3月にかけて、市内11校の小学校3年生がむかしのくらしについて学習をする
くにたちは、1967(昭和42)年1月1日に市制を施行しました。そして、その年の9月に開かれた定例議会で、市の歌と市章が正式に決められました。今も市のシンボルであるこれらは、じじつは国立町の頃に決められたものです。